劉邦が任侠時代に生まれた嫡出子 (婚姻中の夫婦間の子供)。劉邦挙兵後は母(呂雉)と共に沛県 で留守を守っていた。父の劉邦が皇帝に即位すると皇太子に立てられる。劉邦とは異なり温和な性格が不興を買って、 地位を廃されそうになった。しかし、母をはじめとする呂氏一族や張良(劉邦の偉業を助けた) などの支援で皇太子の地位を確保した。
紀元前195年劉邦崩御後に2代目皇帝に即位する。 政治は、母である呂雉が専横した。呂雉は、後継者を巡る 政争で有力な政敵であった趙王劉如意やその生母らを殺害している。 その残虐な行為に衝撃を受け、政務を放棄し酒色にふけった。
乱れた生活を送っていたため、23歳(紀元前188年)の若さで崩御した。