韓非かんぴの生涯

中国、日本、西洋を比較した年表。中国は、春秋戦国時代、日本は弥生時代、ヨーロッパはローマとなっている

生涯

『韓非子』かんぴしや他の書物にも生涯に関する記述がほとんどない。そのため、 詳しいことはわかっていない。

史記でかかれている韓非の生涯

司馬遷しばせんの『史記』によれば、出自は韓の公人であり、 後の秦の宰相になった李斯りしとともに荀子じゅんし に学んだとされる.

韓非かんぴは生まれつきの重度の吃音であり、見下されてきた。 しかし、非常に文才に長けていた。故郷の韓が隣国の秦に併合されそうにありながら用いられない わが身を嘆き、自らの思想を形に残そうとしたのが現在『韓非子』かんぴし といわれる著作である。

韓非の最後

『史記』が伝える韓非かんぴの最後は次の通りである。
秦で属国でありながら面従腹背ならぬ韓を群県下すべしという議論が李斯りし の上奏によって起こった。韓非かんぴはその弁明のために韓から派遣さることになった。

以前に韓非の文章を読んで敬服する所のあった秦王は、この時韓非かんぴを 登用しようと考えた。しかし李斯りしは、韓非かんぴの 才能が自分の地位を脅かすことを恐れて王に讒言した。このため、韓非かんぴは、 牢につながれ、獄中李斯りしが毒薬を届けて自殺を促しそれに従った。

中国の春秋戦国時代の地図。秦、楚、韓、魏、斉、趙、燕の7国を地図で示している。

『韓非子』かんぴし

春秋戦国時代の思想・社会の集大成、分析といえるもの。
全55編、10余万語からなる.